地植え栽培というのは・・・温室内に植えるということ。
山上げも・・・外に出すこともしない。一年中温室中での栽培である。当然夏は連日45℃が続く・・・。
雨にも当たらない・・・・
こういう過酷な栽培実験をペレポストで試験栽培している。こんな栽培を水ゴケ、バーク、軽石で行ったら・・・ほとんどアウト。
ペレポストなら・・・出来る!
ラン菌と共生している栽培である。自生地再現というのはこういうこと。
ほとんど無手入れ!
自生地では・・・人間など関係なく何万年もランは生き続けてきた!
歯ぎしり・・・するように一生懸命して手塩にかけて・・・「花を咲かせる」!
そういう栽培をするのが「ラン作り」という人は・・・ラン菌の代わりにランの介護者になっている。
愛情の方向が違う。
ランは自立して生きる植物だからである。
安土桃山大絵巻展示場の状態。
これが開花すれば・・・・度肝を抜く・・・景観になる。
ここは地植え3年目の状態。 10年後が楽しみ・・・。
自生地と同じに・・・ほとんど手入れしない状態。
ここまで徹底して試験すれば・・・・本物。
巨大花が・・・繚乱と開く。
ペレポストは「ラン友会」で・・・人気が悪い。
そのように表現する者がいる。
バカなことをいう人がいるものである。
人気とはなに????
自然の法則というのは・・・「一発芸人」の人気とは違うのだ。
一口に言えば・・・歴史は、時代は・・・宇井 清太の後からついてくる。
ペレポストの後から・・・時代はついてくる。
こういう豪快なランつくりを出来る人がラン友会のメンバーにいないだけのこと。
都会の中にヒマラヤを作れる人がいないだけ。
つまり、ペレポストを使いこなせない。
ラン菌の知識がない。
固定した技術しか持っていない・・・。
そういうことのようである。
宇井 清太は見えている世界が違う・・・ということ。
ラン友会に入会したとたん、周囲の圧力に・・・ほとんど人は負けて流されて・・・独自のラン世界を開けない。
組織には・・・更に組織拘束という縛りがある。
これまでのラン栽培は「職人技術」であるから・・・造園、盆栽・・・と同じように・・・親方と弟子の関係。
家元とお弟子さんの関係。
お稽古事、習い事に慣れた女性の会員は・・・イイお弟子さんになろうとする。
ラン栽培は自生地の自然が師匠であるが・・・・
そういうことで宇井 清太のラン歴54年は・・・人からラン栽培を習ったことはない。
すべて自然から・・・・。
ランの趣味、愛好の世界でも・・・・人間社会の人間関係をランより優先させる。
例えば・・・会長がペレポストを使わない場合は・・・世渡り上手な人は使わない。
なんかバカバカしい村社会が・・・ランの研究より上にある。
仲良しクラブ!
会社でも組織。定年退職後の趣味の世界に入っても組織拘束・・・。
ラン愛好は自由なのであるが・・・・栽培の用土の使用まで・・・・周囲圧力に流される。
なんか・・・哀れな愛好、趣味・・・ではある。
ペレポストはそういうものとは一線を画した研究である。
ランの本質に迫る!
車を買っても免許証を取れない。
ペレポストを買っても・・・使いこなせない。
そういうラン友会では・・・先が見えている。
一年一年「老化」してゆく・・・・
これを打破するのは・・・・楽しいお茶のみ会でも、おしゃべりでもなく・・・
新しい技術、発明であろう。
ペレポストは・・・老人クラブのラン友会用の用土ではない。
明日のランを拓く人から研究して頂きたい用土である。
宇井 清太も76歳。残り少ないので・・・・多くのものを試験研究している時間がない!
これが最も残念なところ。
50歳代でペレポストを発明していれば・・・・発明に・・・もしも、・・・れば・・・は禁句であるが。
こういうことを人気という言葉で表現される。
ばかばかしい限りである。レベル、次元の低いものもランつくりの中に混在する。
これもお笑い芸人がテレビを闊歩する時代か?
テレビの園芸講座のナビゲーターも・・・そういう人を起用。
それが現在の日本の園芸なのか、演芸・・・。
演芸と園芸のコラボ!
こういうのを・・・人気取り、視聴率稼ぎという。
本質から乖離したことに気づいているのか、いないのか。
宇井 清太、ペレポストが・・・あまりに進んでいるから・・・ついてこれない・・・ということ。
こういうことを書くと・・・・
宇井 清太は謙譲の美徳がない。自己顕示欲の塊・・・といわれるが・・・。
宇井 清太76歳。
もう・・・どうでもよい年齢。
心残りなく・・・人生まっとうしたいだけ。
こういう心境・・・解る人はわかる!
ただ、あの世に行く近くいなって・・・ようやくヒマラヤの自然に近い栽培ができるようになった。
ペレポストを作ったということ。
これを使うも、使わないのも・・・ラン栽培は・・・自由。
周圧に流される人は・・・お呼びでない!
地植え10年の勇姿。
屋久島の大王杉のようなエネルギーが感じられる。
ほとんど手入れなし。
自生地では・・・人間の手など無用だから・・・。
この栽培法には絶対欠かせない条件がある。
春に新しいペレポストを「枯れ落ち葉」のようにバルブの間にパラパラ撒くこと。
そうすると炭素循環が遮断されることなく・・・糖が継続して
株に供給される。
自生地では毎年秋になれば枯れ葉が株に舞い落ちるからである。
木材腐朽菌がこの枯れ葉を分解する。
この糖で・・・夏45℃の地獄に耐えられる。
人間も夏負けすれば・・・・ブドウ糖の点滴、注射。
これをラン菌が行うだけのこと。
これが・・・ランが菌根を具備し、木材腐朽菌と共生する理由である。
腐敗、発酵する嫌気性菌と共生しなかった理由でもある。
ペレポストの開発に着手してから10年が経過した。
開発と同時にハウス内にCymを地植えして生育経過を考察してきた。
宇井 清太の狙いは最初から自生地を再現、再生できる用土の開発であり、
多くの植物に適応できる用土の開発であった。
ランにだけ使える用土、技術、理論というのは・・・本来の自然界とは乖離したものだからである。
なぜなら、ランの自生地にランのみが自生しているのではないからである。
他の多様な植物が同じ環境で生き続けているからである。
趣味の、愛好の世界は「狂信的」なまでに一つの植物を溺愛しているために、
自然界の自生地の本当の姿が見えなくなる。
つまり、愛好家も生まれた赤ちゃんの時、小学生の時・・・現在持っているような・・・・
ランの知識も、技術も持っていなかった。
現在身に着けている知識、技術というのは・・・後年・・・先輩から教わったものである。
本、テレビ、講習会、ラン園などで・・・・・・。
問題は・・・ここで発生する。
自然から・・・教わり、学んだのではなく・・・人から伝授、教わったものである。
人間が創造した・・・歌舞伎、生け花、茶の湯・・・なら家元の人間から伝授されて・・・・
しかし、植物の本当のことは自然からである。
近頃・・・・
園芸、ランの世界でも・・・「女性」の時代である。
この女性が・・・普通の女性が参入すると・・・・植物、園芸の世界にも、生け花、茶の湯、日本舞踊、書道・・・
と同じに・・・先生から・・・問題意識もなく・・・伝授、教わることになる。
宇井 清太も・・・女性から・・・センセイ、先生、センセイ・・・といわれると悪い気はしない。
ここが・・・非常に危険で、注意しなければならないところである。
ランの真実より・・・女のなまめかしい唇の方が魅惑に満ちているからである。
ランの例会では・・・・セレブの熟女の香り、匂いが・・・ランを圧倒する。
そしてラン栽培の、研究の方向を見失うことになる。
そういうことで宇井 清太も山形蘭友会を作ったが、これでは・・・イケナイ・・ということで現在はカンケイナイ。
ラン栽培の常識を・・・覆す・・・ことに専念。
そういうことでペレポストの地植えを行った。
植物は移動しない。
温室に地植えするということは一年中温室で栽培。
山形の夏は猛暑、盆地だからほとんど風がない。
山形は温度が低いとと思っている御仁も・・・ネットでは見るといるようであるが・・・。
6月下旬から9月中旬まで連日45℃である。
当然・・・温室の中には温度がこもるから・・・朝の最低温度も屋外より高い。
愛好家のように・・・春に外に出す・・・栽培ではない。・・・・地植え・・・。
ランにとっては・・・「地獄」。
しかし・・・ランの進化の約7000万年の間には、こういう地獄も体験したのではという考察。
こういう地獄のような過酷な環境が自生地であると・・・・。
だから・・・ラン菌と共生。
ラン菌による炭素循環理論仮説が・・・正しいか誤りなのか・・・実証栽培。
10年後の・・・この勇姿を見てください。
宇井 清太の理論が正しかったという実証例である。
論より証拠。
いい言葉である。
ペレポスト否定する人は・・・ペレポスト以上のものを発明すればよいだけのこと。
発明できない人は沈黙して認めればよいこと。
又は、これまで通り200年続いた・・・ラン菌削除の栽培をこれからも行えばよいこと。
ラン研究でなく・・・楽しみ・・・お遊び・・・だもの。
これが自生地再現・・・炭素循環の姿
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